しんご頑張りニュース−活動日記

【22.08.22】民間人の空襲被害を忘れるな・・救済訴え続け50年

(写真)は、雨が長らく降らなかったので枯れた我が家の山椒の木・・すりこぎにするのには少し細いかな

   日本の敗戦から77年がたちました。アジア・太平洋戦争中の民間人の空襲被害に対し日本政府は謝罪も補償もしていません。民間戦災傷害者の救済運動が始まったのは1972年でした。45年3月25日の名古屋空襲で左目を失明した杉山千佐子さん(故人)が呼びかけました。救済を求める運動の開始から今年で50年です。12年前に全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)へと組織を発展・拡大させ、「民間空襲被害者を忘れるな!」と訴えます。政府はこの叫びに一刻も早く応えるべきです。

高く厚い立法の壁に対し
 空襲連は救済法制定を求め、運動を続けています。2019年4月からは国会開会中の毎週木曜日に衆院第2議員会館前で「こんにちは活動」を行っています。超党派の議員連盟は空襲等で心身に障害を負った民間被害者への一時金支給、被害の実態調査、追悼施設の設置を盛り込んだ法案をまとめています。しかし自民党内の抵抗で法案は提出されず、被害者は何度も期待を裏切られてきました。

 「立法化への壁はなぜこんなにも高く、厚いのだろうか」。空襲連の吉田由美子共同代表(81)は今月開かれた総会で疑問を投げかけました。被害者が高齢化し、健康不安を抱えて日々生きている現実に「『国は被害者が死ぬのを待っているんだよ』と言われて久しい」と訴えました。

 政府は元軍人・軍属には恩給・年金などで補償を続けています。空襲連運営委員長の黒岩哲彦弁護士は「日本政府の一貫した考えは一般戦災者に対し一般の社会保障施策で福祉の向上を図ること」だと指摘します。昭和天皇ら戦争指導者の戦争責任を問われないよう、「国家賠償」論はとらないのだといいます。一方、ドイツやイタリアは「国家賠償」として、アメリカやイギリスは「損失補償」の立場から民間人に戦争被害の補償を行っています。

 日本では1973〜88年に野党が14回、国会に救済法案を提出しましたが、すべて廃案になりました。空襲連の初代事務局長だった足立史郎さん(84)は「法案が成立できない根っこに、過去の侵略と植民地支配を反省しない不誠実な態度があるからだ」といいます。45年3月10日の東京大空襲で当時15歳だった兄が犠牲になりました。「戦争放棄を誓った憲法9条をじゅうりんする大軍拡と明文改憲に立ち向かい、必ず阻止したい」と語りました。

 共同代表の吉田さんは10年ほど前から「平和のバトンを託したい」と、約40の小中学校で証言活動をしています。吉田さんは東京大空襲で両親と生後3カ月の妹を失い、3歳で孤児になりました。証言を聞いた子どもたちから「平和のバトンをつなげてくれてありがとう」と手紙が届き、伝える意義をかみしめます。

人権を回復するためには
 被害救済とともに恒久平和を求め続けてきた50年の歩みです。空襲連は4月、「ウクライナ市民の苦しみは私たち自身のものだ」と都内で募金活動を行いました。残された時間は少なく諦めの気持ちが去来することもありますが、「国の理不尽な差別を打ち破り、被害者の人権を回復、憲法が掲げる『法の下の平等』を実現するためには運動をやめるわけにいかない」と固い決意です。政府はこれ以上先送りすることは許されません。

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